神様ぁ〜! 出来る時に出来る人が出来る事をする 大統領の“標語”みたいだけど大切だと言ってね!!




    ♡猫さん達の可愛い日替わり画像♡【 キャットタワー 四台目 】            



   【 2年前の東日本大震災で被災された皆様には
  
         心よりお見舞い申し上げます 】



  私はアロマセラピスト
   『アロマ・アヴェニュー』は私のお部屋の名前です
  今日から読んで頂ける方の為にも
   少しずつお話を進めていきますね

  私のお部屋では生徒さん達と
   アロマ医療のお勉強をしているんだけど
  認定試験のない時は
   いつも脱線ばかり

  雑談と言っても
   れっきとしたカウンセリングをしているつもりなんだけど
  アロマ医療ではこのカウンセリングも
   とっても大事なんですよイイワケタラタラ

  今回もアロマについての説明はもう少しお休みして
   本題が途中になってしまっていたから
    続きをお話ししますね

  《エピソードNo.14−16》
  【普段は結構おしゃべりでも
    お相手の前では超寡黙】

  「先生 大変ですぅ
    けさもメッチャ寒かったですぅ
   天気予報でもお天気がいい代わりに
    『放射冷却』でかなり気温が下がったって
     言ってましたぁ」

   文字通り『寒』に入ってから
    日に日に寒さが厳しくなってきたわね
   でもちょっと待ってくれる
    実はね ちょっと言い方が変なんだけど
     19年前の明日17日は
      『阪神淡路大震災』が発生した日なのよ

   あなた達はまだ生まれていないとは言わせないけど
    余り覚えていないかも知れないわね
   でも当時としては戦後最大級の『直下型地震』で
    範囲は狭かったとは言え
     この寒い時期の早朝だったんで
      まだお布団の中にみえた方が多くて
   亡くなられた方は6千人以上で
    ケガをされた方は4万人以上もみえた記憶があるわ

  「先生 わたし達でもその頃の記憶はなんとかありますぅ
    もちろん『テレビ』とかで見ただけですけど
   その時まだ意味は分からなかったんですけどぉ
    『直下型地震』とか『ボランティア』って言葉は
     ハッキリとお耳に残ってますぅ

   2年前の『東日本大震災』から
    まさか自分達が被災地でボランティアを
     させていただけるなんて
      思ってもいなかったんですけどぉ
   当時『テレビ』の中に写ってた
    ボランティアさん達のお気持ちが
     少しずつ分かってきたような気がしますぅ」

   また手前味噌で申し訳ないんだけど
    私の旦那様はあの時初めて『被災地』に駆け付けて
   先輩達に指導して頂きながら
    緊急で必要な『医薬品』などの軽量貨物を
     小型ヘリで空輸のお手伝いをしたんだそうよ

   ちょっと余談だけど『阪神淡路大震災』の時は
    『震度7』で被害は大きかったものの
     範囲としては割と狭かったんで
   東から飛んで行っても西から飛んでこられても
    『被災地』に近いところに『仮設へリポート』が
     設営できて対応が早く出来たみたいだけど
   『東日本大震災』の時は
    すわ一大事と飛んでは行ってみたものの
     一面水浸しで降りられるところがなかったみたい
      それにあの忌まわしい『放射能汚染』でしょ
       だからかなり様子が違ったみたいよ

  「先生 先生はその時『被災地』には
    行かれなかったんですかぁ」

   もちろん暫くして旦那様に連れて行って頂いたわよ
    私は旦那様達が少しでも『緊急貨物』を運べるよう
     地上支援組でお手伝いさせて頂いてたわ
   今みたいに『アロマ』でなんとかではなくて
    臨機応変でその時手の少ないところへ行って
     『救援物資』を小分けして袋詰めしたり
   時には長靴と軍手で頭にはヘルメットをお借りして
    崩れた家屋の後片付けなんかもね

   かなり時間が経ってからでも
    ガレキの下から被災された方のご遺体が見つかると
     皆さんで手を合わせて救急車で搬送されるのを
      お見送りしたことも何度かあるし
   今でもその時の光景を鮮明に覚えているのよ
    あなた達は『ナース』だから
     仕事場で『生死の狭間』は体験しているけど
   私としてはあの『被災地』で直面したときが
    初めてだったから
     毎日夜になると涙が自然とあふれ出てきて
      眼はいつもパンパンに腫れていたわ

  「先生 『ナース』ですからぁ
    目の前でどんな状況が起きても
     絶対にうろたえないように教育されてますけどぉ
      内心はけっこう大変な時がありますぅ

   でも先生が長靴を履かれて軍手とヘルメットは
    パッと想像はできませぇ〜ん
     その時の写真とかビデオは残っていないんですかぁ
      一度見てみたいですぅ」

   お黙りっ
    そんな格好なんかはどうでもいいことよ
   だってあの時はとにかくまず『通路』を確保しないと
    『緊急車両』どころかまだガレキの下で
     助けを求めてみえる方の声すら聞こえないでしょ
   とにかく毎日毎日ガレキの山の中に
    分け入っていくしかなかったのよ
     格好なんてあなた 体裁を構っている余裕なんて
      全くなかったわよ

   ボランティアさん達の『簡易宿舎』だって
    本当に名前だけのところだったし
   当時も髪は長くしていたからもう頭もクチャクチャよ
    で ヘルメットが被れるようきつくまとめていたから
     こんな時に洗い流さなくてもいい
      『アロマシャンプー』を持ってきていればって
       つくづく後悔したわ

  「先生 それで分かりましたぁ
    その時『被災地』で貴重な経験をされているんで
   わたし達が『東日本大震災』のボランティアに
    連れていっていただけることが決まったとき
     準備するものを手際よく指示されてたんですね

   さすがにわたし達でも頭の中では
    そこに何もないって分かっていても
     じゃあ何が最優先で必要なのって考えると
      うまく答えられませんでしたぁ

   でも今でもとっても印象に残っているのは
    先生がおっしゃった『アイブロウ』の
     『ペンシル』とか『マスカラ』でしたぁ
   最初は何もこんな時にお化粧なんかって
    不思議に思ってたんですけどぉ
     実際に『被災地』の避難所を回っていると
   お風呂に入れなくてもせめてマユだけは描きたいって
    避難所で生活されている女性達に切々と訴えられて
     原点はここだって思い知らされましたぁ」

   ふだん何不自由なく生活していると
    見えなくなっていることがたくさんあるのよ
     貴重な経験から気が付いてくれて嬉しいわ

   神様ぁ〜 出来る時に出来る人が出来る事をする
    大統領の“標語”みたいだけど大切だと言ってね

   お願いねっ