神様ぁ〜! チョンマゲから文明開化の富岡製糸場は 懐かしい“フランス”の香りがすると言ってね!!



  猫さん達の可愛い日替わり画像【 饅頭 ブリティッシュショートヘアー 2個目 】            



  【 3年前の東日本大震災で被災された皆様には
  
       心よりお見舞い申し上げます 】



  私はアロマセラピスト
   『アロマ・アヴェニュー』は私のお部屋の名前です
   今日から読んで頂ける方の為にも
    少しずつお話を進めていきますね

  私のお部屋では生徒さん達と
   アロマ医療のお勉強をしているんだけど
  認定試験のない時は
   いつも脱線ばかり

  雑談と言っても
   れっきとしたカウンセリングをしているつもりだけど
  アロマ医療ではこのカウンセリングも
   とっても大事なんですよイイワケタラタラ

  今回もアロマについての説明はもう少しお休みして
   本題が途中になってしまっていたから
    続きをお話ししますね

  《エピソードNo.14−174》
  【普段は結構おしゃべりでも
   お相手の前では超寡黙】

 「先生 大変ですぅ
   予想していたとおり
    初日は大混雑だったみたいですぅ

  やっぱりわたし達はちょっと時間を空けてから
   行った方がよさそうですぅ
    ニュースを見てたら
     駐車場に入れない方達が
      けっこうみえたみたいですぅ」

  そうね 当然ながらあの有名な
   『遊覧バス』もさっそくツアーを
     組んでいるみたいだし
      他社でもかなり大型のバスを
       出しているみたいだからね

  何でもそうだけど
   せめて私達だけでも
    過激な行動は慎みましょ
     とは言ってもね
      今回の『富岡製糸場』には
       ちょっと興味があるのよ

 「先生 ナントめずらしい
   いつもクールでけっこうスロースタータなのに
    今回は何に反応しちゃったんですかぁ」

  そうね この間から『富岡製糸場』は
   フランスの絹織物産業の技術を取り入れてって
    お話ししているけど
  私が興味を持ったのは
   あの煉瓦造りの建物の
    当時としては珍しい大きな『ガラス窓』なのよ

  だって1870年頃と言えば日本が
   まだチョンマゲの時代から
    明治になったばかりの頃よ
  こんな時代によ
   採光を考えた大きな『ガラス窓』なんて
    当時の方達はとても驚かれたと思うのよ

  ガラスはわざわざフランスから取り寄せたもので
   さすがに煉瓦はフランスの職人が
    日本で煉瓦造りを指導したそうだけど
     なんかすごくフランスのロマンを
      感じると思わないかしら

  そうそう サラさんから教えて頂いたんだけど
   当時『富岡製糸場』の器械導入と指導をされた
   『Paul Brunat(ポール・ブリューナ)』さんは
  『リヨン』にほど近い
   『Bourg de Peag(ブール・ド・ペアジュ)』の
     ご出身なんだそうよ

  さぁ 質問です
   『リヨン』はその頃何で有名だったでしょうか?
     あなた達も社会科の授業で
      習ったことがあるでしょ

 「先生 ドッキィ〜ン
   ここで質問されるとは思いもしませんでしたぁ
  わたし達もフランスに行ったとき
   『TGV(テジェヴェ)』で
     なんども通ったことがあるんですけどぉ
      なにも考えていませんでしたぁ

  『モンパルナス』を出発してちょうどお腹が空いて
    何かを食べて眠くなるころなんでぇ
     景色はとってもキレイなのは
      覚えているんですけどぉ・・・」

  それにしてもあなた達
   よくそれだけたらたらといい訳が出てくるわね

  もちろんその頃のお話しだけどね
   『リヨン』は絹織物取引の中心地だったそうよ
  でね『ブリューナ』さんが生まれた地域も
   絹織物に関わる方達が多かったそうよ

  中でも蚕のマユから生糸を取り出すときに使う
   銅製の容器はここから『富岡製糸場』にも
    届けられたそうよ
     それもスゴイじゃない

  だから『富岡製糸場』には当時のフランスが
   いっぱい詰まっていると思うのよ
    それを思うとね
     なんだかワクワクしてくるでしょ

 「先生 わたし達もなんだか
   見たくなったというかぁ
    その場所に立ってみたくなりましたぁ
     そこには140年の時間があるんですよねぇ」

  でもね いま『世界遺産』になって
   華々しい歴史だけが語られると思うんだけど
    当時『富国強兵』のために
     多くの女工さん達の哀しい歴史があったのを
      忘れちゃいけないと思うのよ

  ほらあなた達も知ってるでしょ
   当時の女工さん達の様子を表した
    山本茂実さんの『あゝ野麦峠』と言う小説

  のちに『映画』化されたり
   『テレビドラマ』にもなったでしょ
  小椋 佳さんの『思い出してください』って言う
   主題歌もよかったそうよ

 「先生 お言葉を返すようですけどぉ
   わたし達まだ生まれてませんでしたぁ
    先生はリアルタイムで
     ご覧になったんですかぁ」

  残念だけどその手の誘導尋問には
   引っ掛からないわよ
    でも『映画』だけは見たことがあるのよ
     もちろんリアルタイムではないけどね
      だって35年くらい前なのよ

 「先生 じゃあ『富岡製糸場』にも女工さん達の
   哀しい歴史が刻まれてるんですかぁ」

  実は私も最初はそう思ったんだけど
   さすがにフランスの方の指導だったせいか
    毎週お休みもあったそうだし
  当時農村で働かれている娘さん達より
   はるかに待遇はよかったそうよ

  そうそう 『あゝ野麦峠』は長野のお話しで
   『富岡製糸場』のお話しとは違うからね
     当時をよくご存じの方達は
      映画とかドラマは哀しい場面が
       誇張されすぎてるそうよ

 「先生 富岡の『フランス』に触れてみたいですぅ」

  神様ぁ〜 チョンマゲから文明開化の富岡製糸場
   懐かしい“フランス”の香りがすると言ってね

  お願いねっ